一念多念文意
一念多念文意親鸞聖人が、信友隆寛律師の『一念多念分別事』に引證せし経釋の要文を抄録して、これを注釈しつつ、以って一念多念のいづれをも偏執すべからざる旨を示されたるもの。東本願寺には康元二年二月一七日に
一念多念文意 親鸞聖人が、信友隆寛律師の『一念多念分別事』に引證せし経釋の要文を抄 録して、これを注釈しつつ、以って一念多念のいづれをも偏執すべからざる旨を 示されたるもの。東本願寺には康元二年二月一七日に撰述せられしものと覚ゆる 真跡本があって『一念多念文意』と題してあるが、今は正嘉元年,康元二年と同 年,八月六日書写の本によって发めた。 【一】一念をひがごとと思うまじきこと。 〔一?善導?往生禮讃の文〕「恒願一切臨終時?勝縁勝境悉現 前」というは、「恒」はつねにという、「願」はねがうというなり。今 「つねに」というは、絶えぬ心なり、おりに従ごうて時々もねがえというなり。 今「つねに」というは、常の義にはあらず。常というは、 つねなることひまなかれという意なり、時として絶えず?處として隔 てずきらわぬを常というなり。「一切臨終時」というは、極楽をねがうよろずの 衆生、いのち終わらん時までという語なり。「勝縁?勝境」というは、佛を見 たてまつり、光をも見、異香をも嗅ぎ、善知識の勧めにもあわんと思えとなり。 「悉現前」というは、さまざまのめでたきことども眼の前にあらわれたまえと願 えとなり。 〔二?大経第十八願成就の文〕『無量寿経』の中に或いは「諸有衆生?聞其名 号?信心歓喜?乃至一念?至心回向?願生彼国?即得往生?住不退転」と説 きたまえり。「諸有衆生」というは、十方のよろづの衆生と申す意なり。「聞其 名号」というは、本願の名号をきくとのたまえるなり。 「きく」というは、本願をききて疑う心なきを聞というなり。 また「きく」というは信心をあらわす御法なり。「信心歓喜?乃至一

