魏+源は清の思想家
魏 源は清の思想家魏 源は清の思想家。経世実用の学風を立て、西欧列強の進出に対し強兵を主張。 著書には『海国図志』50巻、『聖武記』、『道光洋艘征撫記』、『元史新編』などがあり、賀長齢とともに『皇朝経
魏源は清の思想家 魏源は清の思想家。経世実用の学風を立て、西欧列強の進出に対し強兵を 主張。 著書には『海国図志』50巻、『聖武記』、『道光洋艘征撫記』、『元史 新編』などがあり、賀長齢とともに『皇朝経世文編』120巻を編纂している。林 則徐は欽差大臣の時にイギリス人マレーの『世界地理大全』を『四洲志』として 編訳させた。阿片戦争後、林則徐はイリに左遷されたが、その際『四洲志』を魏 源に与えた。魏源は『四洲志』を基にさらに多くの世界地理の資料を集め、一年 後に『海国図志』が完成した。『海国図志』の中で魏源は「夷の長技を師とし以 て夷を制す」と述べて、外国の先進技術を学ぶことでその侵略から防御 するという思想を明らかにしている。 『聖武記』、『海国図志』で知られる魏源は当時の中国国内では評価 されず。 むしろ、その思想は佐久間象山や吉田松陰を通じて日本上陸。 阿片戦 争での清の敗戦に危機感を募らせた日本にも『海国図志』は伝えられ、吉田松陰 や佐久間象山らに読まれている。 中国、清,しん,代後期の思想家。 字,あざな,は黙深。湖南省邵陽,しょうよう,県の人。1845年,道光25,の進士。 若くして陶 ,とうじゅ,、林則徐,りんそくじょ,ら改革派高官の幕友として活 躍、アヘン戦争にも参加し、晩年は太平天国の乱軍とも戦った。彼は最初漢学と 宋,そう,学を学んだが、のち劉逢禄,りゅうほうろく,に師事して春秋公 羊,くよう,学を自己の学問的基盤とした。しかし、彼は劉逢禄の重んずる何 休,かきゅう,の学説よりも、微言大義を説く董仲舒,とうちゅうじょ,の所説を重 視した。それは、後漢,ごかん,の経学よりも前漢のそれのほうが優 れているという西漢今文,きんぶん,学的認識に基因する。この意識は『詩古 微,しこび,』『書古微』『公羊古微』『春秋繁露注』などの経学的諸作によって

